2020年7月のニュースレターからの抜粋(一部書き換えております)
今月号の文章は私普段のように謙譲語を多用せず、ストレートに記載しています。以前は割とこのようなシンプルな文章でお届けしていました。ただ同時に毎月のように「偉そう」「何様?」などの批判も受けていました。その結果現在のような回りくどい表現に至っています。例えば「致します」ではなく「させて頂きます」の多用、誤用(二重敬語)や「頂戴致しております」「ございます」等の少々耳障りな表現がそれにあたりますが、もちろんこれは意図的です。その証拠(?)に私接客時には皆様に二重敬語などは一切使用しておりません。と申しますか接客時は時間の経過とともに私の“地”が出て言葉遣いが乱暴になりますため、ご新規の方からは「あのWEBサイト本当に自分で書いたんですか?」などと疑われることも度々…。「裏表があるより良いよ」と伺うこともありますが、育ちが知れるようでお恥ずかしい限りです。
閑話休題、そもそも私はストレートに物事を伝えるというのは行き違いがなくて好きですし、質問されたらイエスかノーで返すというのもシンプルでとても良いと思います。肯定も否定もせず、はっきりとした言葉で伝えられないのはフラストレーションがたまることもございます。その反動なのか海外では私の独特のアクセントが強いブロークンイングリッシュでも、自分の気持ちを強く言葉にします。通じているのかは別として、はっきりと意思表示をすることでスムーズなコミニケーションがとれる、これぞ異なる文化の醍醐味(?)なのかなと思います。
ただ一方では私“わきまえる”という言葉も好きです。相手を慮りながらも己の立場をわきまえる。皆様に不遜な態度をとってばかりの私も、人間関係における距離のとり方にだけは少々気を使っております。心の中では嫌だなと思いながらも無理して応対したり、逆に相手に無理を強いるのは距離が近過ぎるのだと思います。一方で離れすぎていると今度は会話が成立しません。以前何かで“相手を満腹にしてはいけない”と読んだ記憶がございます。もう少しお近づきになりたいなと思うところで留めておくのも、人間関係を維持する上では大切なのかもしれませんね。
どんな時代になろうとも全てがデジタルに切り替わる訳ではなく、様々な手法が使えるようになったと捉えるのが自然なのかなとも感じます。もしかしたら今後は人間関係がさらに希薄になるのかもしれませんし、もしそうであるならば逆にこれから問われるのはどこまで人間関係を深められるかなのかもしれませんね。ただ現状認識を間違えると解決策も間違えそうです。私は無能なので今後もあまり余計なことは考えずにシンプルに魅力溢れる生地のご提案に努めてまいりたいと思います。